何故、琴線に触れない?


新聞の「声」欄に掲載された「戦う」という若者に届く言葉は に同感したので引用させて頂く。
投稿者は幼稚園経営者のS氏。
「根強い反対にもかかわらず、政権は解釈変更で集団的自衛権行使を認め、改憲で戦争をできるようにしようとしている。ただ、それがいけないという説得力のある言葉が今あるだろうか。紛争は世界中にあり、武力介入が求められることも多い」と問いかけている。
そして若者が「生き残りに必要な軍事力をもてないのは理不尽」と思うのも不思議ではない。そして韓国船の沈没事故を例にとり、非常時への心構えがなければ危機管理の無さは具体策無しに戦争に反対するリベラル層に重なる。と指摘。氏は日本が平和憲法を捨て、軍事力のある列強国に変わることには反対だ。だが、生き残るために戦うという若者に暴力にかわる方法をうまく説明できない。3日の意見広告「未来への責任、9条実現」がきれいごとに見えるのは、刻々と変わる国際情勢の中、平和のために
何を選び。どう対応するのかが見えづらいからではないか。と指摘する。

自分には5月12日のSPYBOYさんのブログの最後の件(くだり)
『九条を守れ』というだけだったら、『押し付け憲法は変えろ』という安倍晋三と、思考停止と言う点では同類じゃん!結局 日本国憲法の行く末は一人ひとりがそういうロジックを自分の中で血肉化できるかどうかにかかっているんじゃないだろうか]と指摘。自分には上記の投書氏と同じように受け取れて、同感できたので紹介させていただいた。